まるみつ荘最新の水芭蕉の森情報 2020年更新
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2021年令和3年 水芭蕉の森ライトアップ
まるみつ荘宿泊者限定! 4/27〜5/6
一般 5/1〜5/5
ご予約受付中!
お問合せはрO278−25−3730
水芭蕉の森…車で5分 ライトアップします。
片品で一番早いミズバショウ
4月下旬〜5月上旬が見頃
尾瀬や大清水より早く、水芭蕉が咲きます。
(15,000u20,000株の水芭蕉群生地)
H,9年ニュース、ステーションで、生中継され
羽田健太郎さんと、渡辺香津美さんが、演奏した所です。
今もその時の舞台がのこってます。
尾瀬ヶ原に自生する多くの高山植物が同じように咲き、手軽に尾瀬の雰囲気が味わえます。
斜面に群生する水芭蕉なので、立体的に見られます。。
GW前半が見ごろです。
ザゼンソウ・ネコノメソウ・エンレイソウ・ショウジョウバカマ・ミズバショウetc
4月下旬〜5月上旬ゴールデン、ウイークが見頃
維持管理のため入口で一人100円の募金にご協力お願いします。
駐車場では、かたしな高原旅館組合青年部のおみやげ店が有りますのでご利用下さい。
地元の特産品等を販売しております。
※まるみつ荘宿泊者に限り、ライトアップ日以外(時間外)にも、見る事も出来ます。
宿泊者の特権を、ご利用下さい。(無料)
*カメラマンにおすすめ!気軽にご相談下さい。
同時期にザゼン草群生地、吹割の滝が見頃です。
花咲針山の天王桜 ライトアップお忘れなく!
斜面に群生し立体に、見えます。 麓からは、なかなか見えない日光白根山と水芭蕉が 一緒に見える所を、探して見て下さい。 *混雑時はふれあい広場が駐車場です。 駐車場から徒歩5分、400mぐらいです。遊歩道もご利用下さい。 (水芭蕉の森の維持、管理活動) |
まるみつ荘は、旅館組合員、青年部員として、
水芭蕉の森の維持、管理に協力しています。
みんなに聞いた 水芭蕉の森の歴史
昭和の初めは、栗の木の林でした。その頃水芭蕉は、小川のほとり(現在の舞台近辺)に咲いている程度だったそうですが、とても綺麗だったそうです。
栗の木は鉄道の枕木のために伐採され、変わりに戦前はヒノキが植林されましたが、中央付近は、湿地のため放置され雑木林になりました。入口付近のヒノキはその時に植えられた物だそうです。
戦争が終わり、雑木は伐られ燃料のために、炭がやかれました。今でも釜の跡らしき物が湿原の中に残っています。伐った跡に戦後は杉の木が植林されていましたが、湿地のため植林が出来ませんでした。
昭和30年頃、地元の人2〜3人(テルあに〜、ヤスあに〜、ミナあに〜)が丸太を敷いて、足が汚れない程度の木の道が作られ、初めて水芭蕉が観賞されるようになりました。その後、営林署による杉の木、カラマツ等の植林はされず、木の道は山道としても使われ、この地を越本水芭蕉ヶ原と呼ぶようになりました。
(ミナあに〜談H19年撮影)
もともとこの地は国有地でしたが、当時は国有地=みんなの土地、国有林=すぐに払い下げ、と言う考えが、一般村民(越本の人)の考えでしたが、当時の(初代)ボランティア数人で、営林署へ出向き借地願いを出すものの、個人には貸せないとの事でしたが、その間も木を敷き、水芭蕉等の保護をしました。(照作の子談)
昭和40年代になりますと、スキー場建設に伴い、「開発組合」が設立され、同組合員の人足で本格的な、保護整備が、始まりました。この時借地等の契約をしたかは不明ですが、この後は「開発組合(現旅館組合)」が最低年2回の人足をして、整備、保護をしてきました。
昭和40年代後半には、開発組合のほとんどの人が、宿泊関係の仕事を始めたため、開発組合の中に越本民宿組合(現かたしな高原旅館組合)が設立され、以後旅館組合で管理し、地元の人やお客様に見てもらえるようになりました。(年間約200人)
昭和50年代には、片品村から木道を越本(第5)区の区民要望で、現物支給してもらい、組合員の人足によって設置され丸太の道から、製材した木道になり群生地一周出来るようになりました。
昭和60年代までは、春と秋の年2回程度の人足で、補修をしていましたが、この水芭蕉ヶ原を目的にした宿泊客はほとんどなく、訪れる人も年間約500人程度でしたが、木道の傷みもひどくなり、広範囲の修理が、必要になりました。
平成になりますと水芭蕉ヶ原までの村道と駐車場がアスファルト舗装になり、マイカーで訪れる観光客が増え貴重な植物(水芭蕉、ショウジョバカマ、リュウキンカ等)が、盗まれるようになり管理や整備が問題となりましたが、当時は水芭蕉の季節(GW)には、各宿泊施設は合宿等のお客でにぎわっており、水芭蕉ヶ原の管理まで手が回らない状況でした。この頃に越本民宿組合から、現かたしな高原旅館組合に名称を変更しました。
平成5年頃 越本水芭蕉ヶ原の下にふれあい広場が建設され、越本水芭蕉ヶ原(ヶ原と、言うには小さい事)から水芭蕉の森(命名旅館のお嫁さん))に、名称が変更されました。年間約500人前後、ほんの少しですが、注目されるようになりました。
平成7年頃 水芭蕉の季節(GW)に、各宿泊施設の合宿等のお客様が激減(バブル)、宿泊を伴うイベントとして、かたしな高原旅館組合の青年部で話し合われ、前橋市在住の根岸氏らに助言をもらい、ライトアップ構想打ち上げ、片品村観光課に要望(直訴)しましたが、当時の観光課長には取り合ってももらえず、実現できませんでした。年間約500人前後
平成8年 ライトアップ構想があきらめきれず、発電機と灯光機を使って試験ライトアップを実施、夜の美しさを確認、旅館組合青年部を中心にライトアップの準備に入る。年間約500人前後(村の協力が得られなかったため、ライトアップは、かたしな高原旅館組合独自の、独立行事になりました。)
平成9年 GWのライトアップ実施に先駆け、4/22テレビ朝日ニュースステーションの中継に使われ、羽田健太郎(ピアノ)、渡辺和津美(ギター)両氏の生演奏の中継場所として一躍有名になり、翌年スタジオ用ライト20機で初のライトアップ、「早春の花の谷フェスティバル」を組合(青年部主体)で行い。あまりの混雑のため駐車場に「ふれあい広場」が、使われるようになりました。年間約2万人(夜2千人) 平成10年 年間約2万人(夜2千人)
平成11年 春にスタジオ用ライト5機を増設、より綺麗に見られるようになりました。年間約2万人(夜2千人)秋には遊歩道をつくり、駐車場横の杉の木を伐採して(勝手にやって怒られました。)、白樺、ななかまど、つつじ等を、植え翌年の準備をしました。
平成12年 春から、ふれあい広場と水芭蕉の森を結ぶ、遊歩道も多くの人に使われ、道路には電球(街路灯)を付け、ライトアップにおとづれる人の足元を明るくしました。期間約21.000人(夜4日2.650人)
平成13年 森の維持管理とフェスティバルの協力金として、100円募金の実施(この頃から組合の財政も悪化、フェスティバルの継続するために)することに、なりました。 期間約21.000人(夜9日4.700人)
平成15年 かたしな、水芭蕉祭りが花の谷公園で行われる。
平成16年 かたしな、水芭蕉祭りが花の谷公園で2日間行われる。。
平成18年 スタジオ用ライト5機増設 秋に大修繕工事
平成23年 東日本大震災、被災者かたしな高原旅館組合受け入れ、被災者がボランティアで手伝い
平成26年 売店縮小
期間(4月下旬〜5月上旬)
平成 8年 期間約 500人
平成 9年 期間約18.049人 4/22ニュースステイション放映
平成10年 期間約22.000人(夜?日2.000人) 資料紛失 ライト20機
平成11年 期間約20.000人(夜?日2.000人) 資料紛失 ライト5機を増設
平成12年 期間約21.000人(夜 4日2.650人) 広場までの電気設置
平成13年 期間約21.000人(夜 9日4.700人) 100円募金の実施
平成14年 期間約16.000人(夜10日3.210人)
平成15年 期間約16.000人(夜 9日3.050人) 4/19(土)水芭蕉まつり夜60人
平成16年 期間約16.000人(夜 6日1.560人) 4/24(土)水芭蕉まつり夜100人
平成17年 期間約22.000人(夜 6日3.200人)
平成18年 期間約15.000人(夜 9日4.000人) ライト5機を増設
平成19年 期間約11.520人(夜 4日1.450人) 4/19〜5/7青年部が活動
平成20年 期間約10.200人(夜 4日1.820人)
平成21年 期間約 8.550人(夜 4日1.810人) 2灯式灯光機購入、
平成22年 期間約 6.460人(夜 4日1.760人)
平成23年 期間約 7.600人(夜 4日 760人) 南相馬市被災者がボランティア
平成24年 期間約 5.200人(夜 6日1.200人)
平成25年 期間約 4.200人(夜 4日 900人) 二代目入院で準備遅れる!
平成26年 期間約 4.100人(夜 4日 700人) この年でペニーレイン(まるみつ)売店終了
平成27年 期間約 4.000人(夜 4日 700人) 入場者は推定 仮まるみつ売店終了で計測不明
平成28年 期間約 4.000人(夜 4日 700人) 入場者は推定
平成29年 期間約 4.000人(夜 4日 700人) 入場者は推定 一部LED照明に変更
平成30年 期間約 3.900人(夜 4日 700人) 入場者は推定
令和元年 期間約 3.800人(夜 4日 500人) 入場者は推定 LED照明増設
令和2年 新型コロナウイルスの為、見学自粛、ライトアップ中止 電気柵の設置
平成14,15年の資料紛失、期間人数は約ですが、その頃が1番混んでいました。
*この話は水芭蕉の森に関係のある方に聞いてまとめたものです。年号等は多少異なる所があるかも知れませんが、気づいた方はお知らせください。だんだんに直して行きたいと思います。
(転用禁止)
木道工事
H18.10.28 かたしな高原旅館組合の人足で工事しました。
メールの宛先はこちら
marumitu@luck.ocn.ne.jp
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